台湾の公園に立つ2つの鳥居に隠されたメッセージとは

台湾の台北市の中央部に林森公園という広々とした公園があります。
その一角に大小二つの鳥居が並んで立っています。一見奇妙にも見えるこの2つの鳥居にはどんな背景があるのでしょう。

この鳥居には日本統治時代から今に至る台湾の歴史が刻まれています。
今回台湾を訪れ見学してきました。その歴史をご紹介しましょう。

実はどちらの鳥居も日本人のお墓の前に立てられていたものです。
大きい方は第7代台湾総督明石元二郎の、小さい方は明石の側近であった鎌田正威の墓前にあったものです。

明石元二郎は陸軍の軍人ですが、54歳の時に台湾総督に就任します。

彼は台湾電力を設立して水力発電によって台湾の電化を進めました。また台湾人が日本人と同様に教育を受けられるよう法改正をして、台湾人も帝国大学に進学できるようにしたり、鉄道を新たに敷いて貨物輸送増強をはかったり、さらには八田與一から進言のあった嘉南大しゅうの大治水工事プロジェクトを承認、建設にかかる膨大な予算の確保にも尽力しました。
台湾発展の仕事を次々と進めて行く明石でしたが、公務で本土に戻る途中に船中で発病し、総督就任からわずか1年4か月で病死してしまいます。

明石は自分の死によって台湾の統治を道半ばで放り出すのは慚愧に堪えないとして、死んだら亡骸を台湾に葬るよう遺言しています。
死んでも台湾の人々を守る存在でありたいと願ったのです。
彼の遺言通り、亡骸は台湾に移送されて日本人墓地に埋葬されたのでした。この時、彼を尊敬してやまない台湾の人々から多額の寄付が寄せられ、立派なお墓が建てられました。鳥居はそのお墓の前に建てられたものです。

その後、明石のお墓は信じられない運命をたどります。
戦後、大陸から国民党の兵士や難民が台湾へ渡ってきますが、彼らは日本人墓地にバラックを建てて住み始めます。
鳥居はバラックの梁や物干し場に、墓石は敷居やベンチに、墓の近くには公衆トイレまでが作られていました。

1994年に、のちの台湾総統陳水扁台北市長によって立ち退きが行われるまでこの状況は続きます。
およそ50年に渡って、この日本人墓地や明石元二郎のお墓の存在は忘れられていたのです。

その後多くの台湾の人々の努力もあって、明石元二郎のお墓は別の場所に移され、一度別の場所に移されていた鳥居も元の場所に戻って、現在のような姿になりました。

鳥居の前に立つと様々な思いが駆け巡りますが、私が最も心に残ったのは、明石元二郎が自分に与えられた「使命」を何が何でも成し遂げるという強い「覚悟」を持っていた人だということです。
残念ながら彼は病に倒れてその思いを果たすことはできませんでしたが、それでも死んだら終わりではなく死してなお台湾の人々を守りたいという強い思いをもっていたことに感銘を受けました。

使命は命を使うと書きます。これが自分の使命だと感じたなら、覚悟をもって命を使え。
私が感じたメッセージです。

投稿者プロフィール

株式会社きれい 代表取締役 柴田幸治
大手光学機器メーカー勤務後、経営コンサルタントとして2000年に独立起業。
旺盛な好奇心とちょっと変わったアイデア、幅広い人脈で、販売数100万個を超えるヒット商品や、海外のコンテストで世界一を獲得した商品などをプロデュース。
4つのきれい(くらし・かんきょう・からだ・こころ)を基にした独自のメソッドで、企業のCSR・商品開発・マーケティングを支援しています。

NPO法人ウルシネクスト理事長